日本のプリントシール機30年:Print ClubからFURYUの独り勝ち、そしてIP企業へ|プリントシール機産業研究

更新 2026-10-12 ・ 公開 2026-10-12 | Joe Lin

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概要

本稿は、日本のプリントシール機産業について、1995年から2026年までをまとめた研究である。台湾編、韓国編に続く、日本編の基礎記事に当たる。1995年7月25日、Atlusが企画し、SEGAがカメラと筐体、Sonyがプリンターを担当した「プリント倶楽部」が登場した。1996年にはSNK、Capcom、Konami、Sammy、Namcoなど十数社のゲーム会社に加え、オムロンや船井電機も参入した。日本アミューズメント産業協会の『プリントシール機20年史』によると、ピークは1997年。アミューズメント施設でのプリントシール機売上高は1,013億円、メーカーの国内販売額は489億円、設置台数は50,228台だった。よく引用される「1,000億円」と「480億円」は、同じ年の市場を異なる基準で集計した数字である。1998年には施設側の売上高が418億円に落ち込んだ。JAIAの実態調査では、2023年の施設側売上高は193億円、設置台数は7,441台で、ピーク時の約2割と約15%に縮小している。一方、1台当たりの年間売上高は約259万円で、1997年の約202万円を上回る。メーカーを見ると、Atlusは1999年の巨額損失を経て、2009年3月末に業務用ゲーム事業を終了。トーワジャパンは1999年、メイクソフトウェアは2018年に破産した。ゲームセンターという主戦場で現在も機種を展開するメーカーはFURYUとSEGAの2社で、SEGAは2020年にfizで再参入した。辰巳電子工業はイベントや観光地向けの機種に軸足を移し、加賀デバイスは部品を主力としている。関連する上場企業は10社以上あり、FURYU(6238)、セガサミー(6460)、GENDA(9166)、ラウンドワン(4680)、イオンファンタジー(4343)、カプコン(9697)、バンダイナムコ(7832)などが含まれるが、決算資料からプリントシール機関連の売上高を切り出せるのはFURYUだけである。FURYUの前身は、1997年に始まったオムロンの社内新規事業。1998年にプリントシール機事業へ参入し、2003年に子会社化、2007年に経営陣による買収で独立した。2015年12月18日に東証一部へ直接上場し、2017年には1株を3株に分割している。設置台数シェアは2010年代初頭の約3〜4割から、2019年には約98%へ上昇した。同社調べの数字だが、その背景には競合の撤退がある。FURYUは施設の運営者ではなく供給者で、シールなどの消耗品とクラウド会員サービスで利益を得る。2026年3月期には、クラウド会員売上高が初めて機械本体と消耗品の売上高を上回った。キャラクター商品などの世界観事業が売上高の61.9%を占めるようになり、同社はIP企業へと移行しつつある。2020年代の新たな競争相手は、再参入したSEGAと、2021年に日本へ進出した韓国式セルフ写真館である。PHOTOISMは約100店舗を展開している。

要点

  • 日本初のプリントシール機「プリント倶楽部」は1995年7月25日に登場。Atlusが企画し、SEGAがカメラと筐体を担当、プリンターにはSony製を採用した。
  • 「プリント倶楽部」と「プリクラ」は、いずれもSEGAの登録商標。業界の正式な機器分類名は「プリントシール機」である。
  • 日本市場のピークは1997年。施設側売上高1,013億円、メーカーの国内販売額489億円、設置台数50,228台だった(JAIA『プリントシール機20年史』)。
  • よく引用される1997年の「1,000億円」と「480億円」は、同じ年の異なる集計基準による数字。前者は施設側の売上高、後者はメーカー側の販売額である。
  • 1998年には施設側売上高が418億円へ落ち込み、1年で約6割減少。メーカーの販売額も145億円に減った。
  • 2023年の施設側売上高は193億円、設置台数は7,441台。1997年のピーク時の約2割、約15%である(JAIA実態調査)。
  • 1台当たりの年間売上高は、1997年の約202万円から2023年の約259万円へ上昇した。台数は約85%減ったが、1台当たりでは約3割増えている。当サイトが売上高を台数で割って算出した。
  • 2023年のメーカー販売額56億円のうち、シール、消耗品、インクが41億円を占め、比率は約73%だった。
  • Atlusの撤退は1999年ではない。1999年3月期に58億円の巨額損失を出した後、2009年2月6日に事業終了を決議し、3月31日にプリントシール機を含む業務用ゲーム事業を終了した。
  • トーワジャパンは1999年に破産。かつて業界2位だったメイクソフトウェアは2018年10月に破産し、事業は加賀デバイスが引き継いだ。
  • ゲームセンターという主戦場で活動するプリントシール機メーカーはFURYUとSEGA。SEGAは2020年10月にfizで再参入した。辰巳電子工業は販促イベントや観光地の記念撮影向け機種に移行し、加賀デバイスはメイクソフトウェアの事業を引き継いだ後、プリンターやシールなどの部品を主力としている。加賀デバイスは加賀電子の完全子会社である。
  • 日本のプリントシール機産業に関わる上場企業は10社以上あるが、決算資料でプリントシール機関連の売上高を単独で確認できるのはFURYU(東証6238)だけである。
  • FURYUの前身は1997年4月に始まったオムロンの社内新規事業。1998年4月にプリントシール機事業へ参入し、2003年7月に子会社オムロンエンタテインメントとなり、2007年4月に経営陣による買収で独立した。
  • FURYUは2015年12月18日に東証一部へ直接上場。公開価格は3,200円だった。2017年3月の1株から3株への株式分割を反映すると、上場時の価格は約1,067円となる。
  • FURYUの設置台数シェアは、2010年代初頭の約3〜4割から、2019年には約98%へ上昇した(同社調べ)。主な要因は競合の撤退である。
  • FURYUは施設の運営者ではなく供給者。2026年3月期のプリントシール事業では、クラウド会員売上高68.2億円が、施設に販売する機械本体と消耗品の売上高61.2億円を初めて上回った。
  • FURYUの世界観事業は、キャラクター商品などを扱う。2026年3月期の売上高構成比は61.9%で、2026年4〜6月には67.9%へ上昇した。
  • 韓国式セルフ写真館は2021年2月に日本へ進出。PHOTOISMは2025年6月時点で約100店舗だった。

プリントシール機の発祥地は日本である。1995年7月25日、ゲーム会社のAtlusとSEGAが「プリント倶楽部」(Print Club)を発売した。2年後の1997年には、日本全国のアミューズメント施設がプリントシール機から年間1,013億円を売り上げ、全国に5万台が設置されていた。翌年、売上高は半分以下に落ち込み、参入した30社余りのメーカーは、その後20年の間に次々と市場を去った。2023年には、施設側の年間売上高は193億円と、ピーク時の約2割に縮小した。原文執筆時点で、日本のプリントシール機の約9割はFURYUという同じ会社の製品である。ところが、その会社自身の売上高は、すでに6割がプリントシール機以外の事業から生まれている。

台湾編と韓国編を書いた後、本稿で発祥地の歴史を補う。答えたいのは、次の3点である。

  • 日本のプリントシール機は何年に始まり、各時代を代表した会社はどこか。
  • この産業に関わる上場企業にはどのような会社があり、それぞれいつ上場したのか。
  • FURYUはどのようにオムロンの一部門から、ほぼ独占的な機器供給者となり、今はどこへ向かっているのか。

数値には出典と集計基準を添えた。確認できなかった事項は末尾に別途まとめ、推計で穴を埋めてはいない。

1.発明と最初のバブル(1995〜1999年)

Print Clubの企画はAtlusから生まれた。当時のAtlusはゲームソフトウェアの会社で、ハードウェアを持っていなかった。そのため、Atlusがアイデアとソフトウェア、SEGAがカメラと筐体を担当し、プリンターにはSony製を使うという分業になった。初号機は1995年7月25日に発売され、1回300円。撮影すると、剥がして使える小さなシールが出てきた。

「プリント倶楽部」と、その略称である「プリクラ」は、どちらもSEGAの登録商標である。そのため、日本の業界で使われる正式な機器分類名は「プリクラ」ではなく「プリントシール機」となっている。この呼び名の経緯は、プリントシール機を日本語でどう呼ぶかに別途まとめた。

なぜ1995年だったのか。私は、この問いに正面から答える公式資料や学術資料を見つけられなかった。確認できたのは「開発が完了し、発売された」という説明だけなので、ここで理由を作り上げることはしない。

1996年:30社余りが一斉に参入

Print Clubが人気を集めると、他のゲーム会社も一斉に参入した。日本アミューズメント産業協会(JAIA、前身はJAMMA)が2015年に刊行した『プリントシール機20年史』は、1996年に開発へ乗り出した企業として、次の会社を挙げている。

  • ゲーム会社:エス・エヌ・ケイ(SNK)、大平技研工業、カプコン(Capcom)、コナミ(Konami)、サミー(Sammy)、ジャレコ(Jaleco)、データイースト(Data East)、ナムコ(Namco)、ビデオシステム、ビスコ、ヒューマン。
  • 大手電機メーカー:オムロン(Omron。血圧計やセンサーを手がけるオムロンである)、船井電機。
  • 提携という形で参加した大企業:松下電器産業、パイオニア、コニカ、第一興商。

よく見かける「全盛期には約30社が参入した」という説明の根拠となるのが、この顔ぶれである。原資料の一覧にはSEGAも含まれている。この一覧の中で、原文執筆時点でもプリントシール機を手がけていると確認できるのはSEGAだけで、同社も途中で20年間撤退していた。オムロンの事業は後にFURYUとして独立する。第6章で詳しく扱う。

1997年のピークには、実は2つの数字がある

日本のプリントシール機の全盛期について調べると、食い違って見える2つの数字が出てくる。「1997年の市場は1,000億円を超えた」という説明と、「480億円だった」という説明である。どちらも正しい。数えているお金が違うからだ。

集計基準 1997年 何を数えた数字か
施設側売上高 1,013億円 利用者が硬貨を投入して支払い、施設が受け取った金額
メーカーの国内販売額 489億円 メーカーが機械本体、ソフトウェア、シールなどの消耗品を施設に販売して受け取った金額
設置台数 50,228台 日本全国に設置されていたプリントシール機の台数

3つとも、JAIA『プリントシール機20年史』という同じ資料の、別々のページに載っている数字である。したがって、「1997年に1,000億円」とあれば利用者側の支出、「480億円」とあればメーカー側の販売額を指す。当サイトの台湾編の基礎記事とFURYU企業研究では、それぞれ一方の数字を引用していた。本稿では両方を並べ、集計基準を明確にした。

1998年:1年で半分以下に

バブルは急速にはじけた。施設側のプリントシール機売上高は1997年の1,013億円から、1998年には418億円へ落ち込み、1年で6割減った。メーカー側はさらに厳しく、販売額は489億円から145億円へ減少し、3割にも届かなくなった。台数の減り方は比較的緩やかで、50,228台から46,768台だった。つまり、機械はそのまま置かれていても、利用者が減り、新機種も売れなくなったのである。

この局面を象徴するのが、発明者であるAtlus自身の損失だ。同社はピーク時に新機種「スーパープリクラ21」を大量生産した。目標は2,500台だったが、実際に売れたのは約半数にとどまり、1999年3月期には58億円の経常損失を計上した。うち在庫評価損だけで31億円に達する。この2つの数字は國學院大學のケーススタディに基づく二次引用である。また、全身撮影で市場を開拓したトーワジャパンは、1999年に破産した。

Atlusが1999年に撤退したわけではない。財務面で大きな打撃を受けた後も、規模を縮小しながらプリントシール機の販売を続けた。業務用ゲーム事業全体の終了を決議したのは2009年2月6日で、3月31日をもって終了し、プリントシール機もその対象に含まれた。当時の日経xTECHとITmediaの報道によると、原材料費と開発費の上昇、業界の不況を背景に、黒字化は難しいと判断したという。よく見かける「Atlusは1999年に撤退した」という説明については、私は出典を見つけられなかった。1999年の損失と2009年の撤退を混同したものに見える。

2.市場規模:1996〜2013年

JAIAの『20年史』には、1996年から2013年までの年次データが付いている。産業全体を対象とし、年ごとに連続した公式データとして、私がこれまでに見つけた唯一の資料である。

年 施設側売上高(億円) 設置台数 メーカー販売額(億円)
1996 604 35,436 320
1997 1,013 50,228 489
1998 418 46,768 145
1999 395 39,770 104
2000 511 41,814 131
2002 605 36,546 188
2005 423 20,572 193
2007 307 19,760 169
2010 247 15,053 110
2013 267 13,050 133

この表には3つの転換点がある。1つ目は1998年の急落。2つ目は2000〜2002年の回復で、売上高は再び600億円台に戻った。同じ時期に、第3章で扱う新技術、すなわち顔認識や落書き機能の定着が進んでいる。3つ目は2002年以降の長期的な縮小だ。2013年には売上高が267億円と、ピーク時の約4分の1になり、設置台数も13,050台と、やはり約4分の1になった。

もう1つ注目したいのは、メーカー販売額が1998年以降、100億〜200億円程度にとどまる一方、シールなどの消耗品の比率が上がり続けたことだ。1997年には消耗品がメーカー販売額の約3割、489億円のうち152億円だった。2013年には約65%、133億円のうち86億円に増えた。機械本体が売れなくなると、この事業で生まれるお金は「1回撮影するたびに使う紙」へと集中していった。これがFURYUのビジネスモデルを理解する最初の手がかりである。

2の2.2014年以降:ピーク時の2割に

2013年以降の数字は、JAIAが毎年刊行する『アミューズメント産業界の実態調査』に切り替えてつなぐ必要がある。2つの資料が重なる2010〜2013年の4年間では、メーカー販売額が完全に一致している。順に110億円、140億円、140億円、133億円なので、この項目はそのまま接続できる。施設側の売上高と台数については、JAIAがプリントシール機を単独の項目として掲載するのは2019年度からで、報告書にはこの分類の売上高がすべてプリントシール機によるものだと明記されている。2014〜2018年は切り出せない。

年 施設側売上高(億円) 設置台数 メーカー販売額(億円)
2014 — — 100
2015 — — 94
2016 — — 87
2017 — — 95
2018 — — 103
2019 257 — 137
2020 240 — 39
2021 172 7,711 54
2023 193 7,441 56

2022年度の報告書では、2023年の対前年比増減率だけが公表され、2022年そのものの数値は示されていない。2024年版は2026年5月に刊行されたが、有料の刊行物であり、公開資料からは細目を確認できなかった。この2年は空欄のままとし、逆算で補ってはいない。

棒グラフ:日本のアミューズメント施設がプリントシール機から得た年間売上高。1997年1,013億円、2002年605億円、2007年307億円、2013年267億円、2019年257億円、2023年193億円で、ピーク時の約2割となった。全国の設置台数は50,228台から7,441台へ減少。出典は日本アミューズメント産業協会で、2013年以前と2019年以降は別の報告書に基づく。

この表から読み取れることは3つある。

第1に、2023年の施設側の年間売上高は193億円で、1997年のピーク時の約2割に当たる。全国の設置台数は7,441台で、ピーク時の約15%である。メディアがよく使う「全盛期の2割に」という表現は、この売上高を指している。

第2に、コロナ禍の打撃は、施設よりもメーカーに大きかった。2020年の施設側売上高は257億円から240億円へと、1割未満の減少にとどまった。一方、メーカー販売額は137億円から39億円へ落ち込み、3割にも届かなくなった。施設は営業を続けていれば収入を得られるが、新しい機械の購入は止めたのである。

第3に、台数は減ったものの、1台当たりの売上高は増えている。売上高を台数で割ると、1997年は年間約202万円、2013年は約204万円、2023年は約259万円となる。これは私自身の計算である。JAIAの2021年度報告書には、別途、1台当たり223.5万円という数字が直接掲載されている。機械は85%減ったが、1台当たりの年間売上高は全盛期より3割高くなった。また、2023年のメーカー販売額56億円のうち、シール、消耗品、インクは41億円で、約73%を占める。お金はますます「撮影1回ごと」に集中している。この流れは1997年から原文執筆時点まで続いている。

3.技術の世代:シールからデカ目、そしてナチュラルへ

日本のプリントシール機の30年間で、写真に写る顔は何度も変わった。2015年以前は、JAIA『20年史』の3つの時代区分、すなわち写真と遊びの両立、デカ目、ナチュラルを参考にした。2016年以降は私自身が区分し、全体を6つの世代に整理している。

世代 年代 代表機種(メーカー) 起きたこと
誕生と急落 1995〜1999年 プリント倶楽部(Atlus/SEGA)、ストリートスナップ(トーワジャパン) 出力はシールのみ。1997年にトーワジャパンが初の全身撮影機種を発売し、その後は全身撮影が標準仕様となった
技術の成熟 2000〜2004年 Hitomi(アイ・エム・エス、2000年)、花鳥風月(ナムコ、2003年) 顔認識が業界標準となり、落書き機能が定着。撮影ブースと落書きブースを分け、2組が同時に利用できるようになった
デカ目の時代 2005〜2009年 女神のレシピ(辰巳電子、2006年)、美人-プレミアム-(FURYU、2007年)、CUBE(メイクソフトウェア、2008年) 一目で加工と分かるほど目を大きくし、「盛る」ことが中心的な価値になった。シールの画像を携帯電話へ送れるようになった
ナチュラルへの転換 2010〜2015年 LADY BY TOKYO(FURYU、2011年)、PLATINUM BALANCE(バンダイナムコ、2014年) デカ目から自然な美肌へ回帰。筐体のデザインに実写のモデル写真を採用するようになった
クラウドと動画 2016〜2020年 fiz(SEGA、2020年) 写真をクラウド会員サービスに保存する方式へ移行。SEGAが復帰し、動画機能が加わった
ワンルーム設計と海外勢の参入 2021〜2026年 GIMMI(SEGA、2024年)、NICO MAKE(SEGA、2025年) 撮影、落書き、印刷を1つのブースに統合。韓国式セルフ写真館が「加工しない」という反対の美意識を持ち込んだ

この表で特に注目したいのは、2つの転換点を同じ会社が生み出したことだ。2007年の「美人-プレミアム-」がデカ目ブームを起こし、2011年の「LADY BY TOKYO」が再びナチュラルへと流れを変えた。どちらもFURYUである。同じ会社が2度続けて市場全体の美意識を方向づけたことは、後の独り勝ちを支えた要因の1つなのだろう。この点は第6章で詳しく扱う。

JAIAの元の時代区分は2015年までで、2016年以降に業界共通の区分はない。最後の2区分は、読みやすくするために設けたものである。

年表:日本のプリントシール機30年を6世代に整理。1995年はシールのみを出力、2000年は顔認識が標準化、2005年はデカ目で「盛る」時代、2010年は自然な美肌へ回帰、2016年はクラウド保存と動画、2021年はワンルーム設計と韓国式セルフ写真館の参入。デカ目とナチュラルの2つの流行はFURYUが生み出した。

当時のプリントシール機の現場

以下の4枚は、異なる年に日本で撮影されたプリントシール機の現場である。Wikimedia Commonsでオープンライセンスにより公開されている写真を使用した。上の表に挙げた機種そのものではない。1990年代から2010年代初頭のメーカー公式写真は、多くがすでに公開を終了しており、転載許諾の面で使用できるのはこれらの写真だけだった。それでも、各時代のプリントシール機エリアの様子は分かる。

2005年、日本のゲームセンターにあるプリントシール機エリア。筐体にはカラフルな模様と英語のキャッチコピーが描かれ、天井には風船が飾られている。脇には、利用者が落書きをしたりシールを分けたりするための丸テーブルが置かれている。

2005年、日本のゲームセンターにあるプリントシール機エリア。撮影場所の詳細は記載されていない。このエリアはゲームセンターの他の区画より華やかに装飾されることが多く、撮影後にその場でシールを分けられるよう、テーブルや椅子も置かれていた。撮影:Tom Page、CC BY-SA 2.0、元画像。

2007年、大阪。プリントシール機の内部から上を見上げると、中央のレンズと小さな画面を囲むように、白い球形の補助照明が4つ配置されている。手前には利用者2人の後頭部が写っている。

2007年8月、大阪のプリントシール機内部。4つの大型照明が顔を明るく照らす仕組みは、「美肌」効果を支えるハードウェアの基礎である。第3世代の「デカ目の時代」に当たる。撮影:Syced、CC0・パブリックドメイン、元画像。

2010年、東京・渋谷。GAME LASVEGASの看板に「プリクラのメッカ」と書かれている。隣には渋谷会館ゲームセンターがあり、入口には若い女性が数人並ぶ。通行人は長時間露光によってぼやけている。

2010年4月、東京・渋谷。GAME LASVEGASは、看板にそのまま「プリクラのメッカ」と掲げていた。プリントシール機がデカ目からナチュラルへと移る時期で、渋谷は女子高校生のプリントシール文化の中心だった。撮影:Wenjie Zhang、CC BY 2.0、元画像。

2024年、富山県高岡市のプリントシール機専門店。入口の脇にFURYUのロゴが掲げられ、店内に並ぶ機械のカーテンにはモデル写真や「純欲盛れ」などのキャッチコピーが印刷されている。

2024年5月、富山県高岡市のプリントシール機専門店「Puri curun」。筐体のカーテンにある「盛れ」は、依然として訴求点になっている。入口にはFURYUのロゴが掲げられ、30年後の店内では、ほぼすべての機械が同じ会社の製品となっている。撮影:Smiley.toerist、CC BY-SA 4.0、元画像。

男性だけでは入れない

日本のプリントシール機エリアには、外国人旅行者が戸惑いやすいルールがある。男性だけでは入れず、女性の同伴が必要というものだ。理由として一般に挙げられるのは、盗撮、嫌がらせ、ナンパの防止である。私が確認できた最も古い時期の手がかりは、タイトー(Taito)が2024年の取材で「10年以上前」から制限していたと述べたことだった。ただし、最初にどの会社が何年に始めたのかは、確認できなかった。

4.誰が、いつ市場を去ったのか

メーカーを1社ずつ見ていくと、「最後はFURYUだけになった」という状況がどう生まれたかが分かる。

メーカー 代表機種 その後
アトラス(Atlus) 1995年 Print Club 1999年に過剰生産で巨額損失。2009年3月末にプリントシール機を含む業務用ゲーム事業を終了
セガ(SEGA) 1995年 Print Clubのハードウェア 2000年前後に撤退。2020年10月にfizで再参入し、2024年4月に子会社セガ フェイブへ事業を移管。事業を継続
トーワジャパン 1997年 ストリートスナップ 1999年に破産
日立ソフトウェアエンジニアリング 1997年にトーワジャパンと共同開発、2000年代の「美写」シリーズ 撤退年は確認できず
アイ・エム・エス 2000年 Hitomi、2012年 DONNA・MA・PURI 撤退年は確認できず
ナムコ(後のバンダイナムコ) 2003年 花鳥風月、2014年 PLATINUM BALANCE 製造からの撤退年は確認できず。原文執筆時点では、グループが施設運営者としてプリントシール機エリアを展開
辰巳電子工業 2004年 ティンクルベリー、2006年 女神のレシピ 製造を継続しているが、販促イベント向けのtotte Me!と、観光地の記念撮影向けのファミプリへ移行。ゲームセンターの主戦場からは離れている
メイクソフトウェア 2008年 CUBE。初の正方形シールを採用 かつて業界2位。2018年10月に破産し、負債は約21億円
加賀デバイス 2018年にメイクソフトウェアのプリントシール機事業を承継 原文執筆時点の親会社公式サイトでは、プリントシール機用プリンター、シール、カメラ、タッチパネルなどの部品を主力として紹介。2018年以降に独自の新機種を発売したかは確認できず
オムロン → FURYU 1999年 ハイキーショット、2007年 美人-プレミアム- 事業を継続。設置台数シェアは9割以上と自社で公表

この表が示すのは、1996年に参入した多数のゲーム会社のほとんどが、2000年以前に市場から姿を消したということだ。ただし、各社が何年に、なぜ撤退したかを網羅する記録は見つからなかった。理由を確認できる撤退は3社に限られる。Atlusは過剰生産による打撃から10年間事業を続け、2009年に終了した。トーワジャパンとメイクソフトウェアは、いずれも破産である。2018年にメイクソフトウェアが倒れた後もこの分野に残る4社は、それぞれ置かれた状況が大きく違う。

  • FURYUは圧倒的なシェアを持つ。当サイトが収録する10のゲームセンターチェーンの店舗では、98%にFURYUの機械が設置されている。
  • SEGAは、ゲームセンターでFURYUと正面から競合する唯一のメーカーである。同じ店舗群の約4分の1にSEGAの機械が設置されている。
  • 辰巳電子工業は1970年設立の中規模企業で、資本金は3,000万円、従業員は200〜300人。多くがゲーム機の受託開発に携わる。プリントシール機は現在、販促イベント用と観光地の記念撮影用を手がけており、主な顧客はゲームセンターの女子高校生ではない。
  • 辰巳の観光地向け機種はファミプリという。2026年9月の公式設置場所検索では、46都道府県に264台が1台ずつ掲載されていた。動物園、水族館、テーマパーク、観光スポットが合計で約6割を占め、残りは博物館、展望タワー、温泉施設、駅、空港などに点在する。法人向けサイトに記載された導入条件は、設置費0円、筐体外装とフォトフレームの施設別カスタマイズが無料、施設側の負担は電気代のみというものだった。シールのQRコードを読み取ると写真をダウンロードできるが、すべての写真を保存するには月額料金が必要である。公式規約に記載された月額料金は、440円から2022年8月に498円へ、さらに2026年2月に598円へ改定されている。法人向けサイトには「全国300か所以上」「観光地プリントシール機シェアNo.1」とも書かれているが、統計基準は示されていない。個別に確認できるのは264台である。
  • 加賀デバイスは、上場企業の加賀電子が全株式を保有する子会社で、全社の従業員数は81人(2026年3月)。メイクソフトウェアの事業承継後、公式サイトではプリントシール機用のプリンターやシールなどの部品販売を重点的に紹介している。

したがって、「日本にはFURYUしか残っていない」という表現は、もう少し正確にする必要がある。ゲームセンターという主戦場では、FURYUとSEGAの2社である。辰巳はゲームセンター以外の観光施設へ、加賀は部品へと軸足を移した。当サイトの日本データベースにある機種情報は、各メーカーが公開する設置店舗検索に基づく。FURYUとSEGAに加え、辰巳のファミプリも2026年9月に収録した。加賀は同様の検索を公開していないため、当サイトに同社の機械の掲載はない。この「ゼロ」は、確認できなかったことを示すだけで、存在しないという意味ではない。

5.この産業に関わる上場企業

日本のプリントシール機産業は3層に分かれる。メーカーが機械を製造し、アミューズメント施設のチェーンが設置し、一部のブランドが専門店を開く。この分業の詳しい仕組みは、日本のプリントシール機設置場所は4割強がゲームセンターで扱っている。各層の背後には上場企業がいるが、その上場時期や上場理由は、ほとんどの場合プリントシール機とは関係がない。

会社 証券コード 上場 プリントシール機産業での位置づけ
フリュー(FURYU) 6238 2015年12月18日、東証一部。2022年4月にプライムへ移行 機械の製造、直営専門店、クラウド会員サービス
セガサミーホールディングス 6460 2004年10月1日、SEGAとSammyの経営統合により設立 機械の製造。傘下のSEGAが担当
旧・セガ — 東証一部。2004年にセガサミーの完全子会社となり上場廃止 1995年のPrint Clubでハードウェアを担当
アトラス(初代) 7866 1997年10月7日、店頭市場。後のJASDAQ。2006年にインデックスの完全子会社となり上場廃止 1995年のPrint Clubで企画を担当
オムロン 6645 1962年、京都・大阪証券取引所 1998〜2007年、FURYUの前身事業の親会社
GENDA 9166 2023年7月28日、東証グロース 設置・運営:GiGOの親会社
ラウンドワン 4680 1997年8月、大阪証券取引所二部。1999年9月に一部へ指定替え 設置・運営:ROUND1
イオンファンタジー 4343 2002年2月、JASDAQ。2005年2月、東証一部 設置・運営:モーリーファンタジー
カプコン 9697 1993年10月、大阪証券取引所二部。2000年10月、東証一部 設置・運営:プラサカプコン
バンダイナムコホールディングス 7832 2005年9月29日、BandaiとNamcoの経営統合後に新たに上場 設置・運営:namco。初期にはメーカーでもあった
スクウェア・エニックス・ホールディングス 9684 グループはすでに上場。タイトーは2006年に完全子会社となり上場廃止 設置・運営:タイトーステーション
KeyHolder(旧アドアーズ) 4712 上場を継続。2017年にゲームセンター事業を分社化し、翌年、非上場のワイドレジャーへ売却 設置・運営:アドアーズ。ただし現在は上場企業の傘下ではない

非上場企業も、重要な設置・運営事業者なので挙げておく。パチンコ業界最大手のマルハン(ME TOKYO)、楽市楽座とアドアーズを運営するワイドレジャー、NICOPAを運営するカーゾックである。

この表が示すのは、日本のプリントシール機産業に関わる上場企業は多いものの、その大半は「事業の一部としてプリントシール機も扱っている」ゲーム会社やアミューズメント施設のチェーンだということだ。各社の決算資料を調べても、プリントシール機関連の売上高を切り出せるのはFURYUだけだった。他社では本業に比べて規模が小さく、決算資料で個別に開示されない。つまり、株式市場を通じて日本のプリントシール機事業そのものを見ようとするなら、対象となるのは東証6238の1銘柄だけである。

よくある2つの誤解も、ここで訂正しておく。

  • FURYUは新興市場から出発したわけではない。2015年の上場時から、直接東証一部に上場している。
  • アドアーズの上場法人が上場廃止になったわけではない。KeyHolderへ社名を変更して上場を続けており、売却されたのは分社化したゲームセンター事業である。

6.FURYU:オムロンの一部門からIP企業へ

FURYUのブランドロゴ

FURYUの決算の詳細は、FURYU企業研究に別途まとめた。この章では、産業全体との関係に絞る。どのように参入し、ほぼ唯一の供給者となったのか。その収益モデルが現在の日本のプリントシール機をどう形づくり、同社はどこへ向かっているのかを見ていく。

前史:1998年に参入したのはオムロン

「FURYUは1998年にプリントシール機市場へ参入した」とよく説明されるが、1998年にはFURYUという会社はまだ存在していなかった。FURYUの公式沿革によると、時系列は次のとおりである。

  1. 1997年4月:オムロンが社内でエンタテインメント分野の新規事業を開始。
  2. 1998年4月:この新規事業がプリントシール機事業へ参入。
  3. 1999年:オムロン名義で「ハイキーショット」を発売。8段階の美白調整を訴求。
  4. 2002年1月:クレーンゲーム景品の事業を開始。現在のFURYU最大の事業は、ここから始まった。
  5. 2003年7月:完全子会社オムロンエンタテインメントとして分社化。
  6. 2007年4月:経営陣が事業全体を買収し、フリュー株式会社として独立。

オムロンは、この参入企業群の中では比較的後発で、ゲーム会社らしさが最も薄い企業だった。その強みは画像処理と顔認識にある。この技術的な基盤は、後にゲーム会社のIPより重要だったことが明らかになる。

2007年の独立:親会社が示した3つの選択肢

初代社長・田坂吉朗のインタビューによると、2001年前後、オムロン本体は上場以来初の赤字となり、エンタテインメント事業は「撤退、売却、独立」の3つから道を選ぶよう求められた。このインタビューは有料媒体の記事で、私が読めたのは要約のみであり、二次情報である。当時、プリントシール機事業はすでに2000年3月期に黒字化しており、チームは独立を選んだ。

経営陣は2006年10月にまず持株会社を設立し、2007年2月にフリューへ社名を変更。4月1日にオムロンエンタテインメントの全事業と従業員を引き継いだ。この買収資金を誰が、いくら出したのか、投資ファンドが関わっていたのかについては、公開資料を見つけられなかった。

成長期:市場全体の美意識を2度変えた

独立から3か月後の2007年7月、「美人-プレミアム-」を発売し、デカ目ブームを起こした。2011年7月の「LADY BY TOKYO」は、再びナチュラルへと流れを変えた。同じ時期に、自社のクラウド会員サービス「ピクトリンク」(Pictlink)も展開し、撮影した写真を携帯電話に保存できるようにして、会員から月額料金を受け取っていた。

全国の設置台数に占める同社の比率は、2種類の資料を組み合わせると、おおよその変化が見える。

時点 FURYUの台数 全国の総台数 FURYUの概算比率
2011年3月期/2010年 5,110 15,053 約34%
2013年3月期/2012年 5,368 12,711 約42%
2019年 — — 約98%(FURYUの自社調査)
2021年夏 — — 約94%(FURYUの自社調査)

最初の2行は、FURYUの決算説明資料にある「国内稼働台数」を、JAIAの全国設置台数で割って私が算出した。一方は会計年度、もう一方は暦年で、年度が一致していないため、規模感を見るための数字にとどまる。後の2行はFURYUが決算説明資料で公表した設置台数シェアで、自社調査であり、第三者の統計ではない。

これらを並べると、2010年代初頭には全国の約3〜4割だったFURYUが、2019年には98%へ上昇したことが分かる。その間に起きたのが、第4章の表に示した競合の相次ぐ撤退である。最後の規模のある競合だったメイクソフトウェアは、2018年に破産した。FURYUのシェア拡大を支えたのは、競合から顧客を奪うことよりも、市場に最も長く残り続けたことだった。

上場:2015年に東証一部へ直接上場

2015年12月18日、FURYUは東証一部に上場した。公開価格は3,200円、初値は3,220円で、主幹事は野村證券だった。上場時の報道が引用した目論見書によると、上場前年の2015年3月期の売上高は約239億円だった。

株価を見る際は、1点注意が必要である。2017年3月に1株を3株へ分割しているため、上場時の3,200円を原文執筆時点の株数に換算すると、約1,067円になる。分割後の価格にそろえると、上場以来の安値はコロナ禍初期の2020年3月につけた747円、高値は2021年9月の1,966円だった。2026年9月下旬はおよそ1,450円前後で、分割調整後の公開価格より3割以上高い。発行済株式数28,296,000株で計算すると、時価総額は約400億円となる。

2016〜2026年:4つの段階

段階 年度 売上高(億円) 起きたこと
安定期 2016〜2019年3月期 242 → 271 プリントシール、コンテンツ、キャラクター商品、ゲームの4事業を並行して展開。営業利益率は9.7〜15.8%
コロナ禍の打撃 2020〜2021年3月期 274 → 248 総撮影回数が4,549万回から3,018万回へ減少。1年で3割減
変動期 2022〜2023年3月期 341 → 364 売上高は増えたが、利益率は10.9%から5.9%へ低下。キャラクター商品事業は一時赤字に
転換期 2024〜2026年3月期 428 → 448 3大事業部へ再編。キャラクター商品を扱う世界観事業が売上高の6割を占め、プリントシールは3割へ低下

この表の数値は、FURYUの各年度の決算短信に基づく。2020年3月期と2021年3月期は単体の数値であり、前後の年度の連結数値とは直接比較できない。

4段階を通じた大きな流れは、プリントシール機事業が縮小する中で、会社が事業の重心を移しているということだ。コロナ禍前の年に約4,500万回あった撮影回数は、2026年3月期には2,787万回に減り、コロナ禍前の水準には戻っていない。同じ期間に、クレーンゲーム景品やフィギュアなどの「世界観事業」が脇役から主役へ変わった。2026年3月期には売上高の61.9%を占め、2026年4〜6月の四半期には67.9%へ上昇した。この四半期の両事業部の利益差は、すでに2,500万円しかない。世界観事業が8.66億円、プリントシール事業が8.41億円で、プリントシール機は「最も利益を生む部門」という地位まで譲りつつある。

収益モデルが、日本のプリントシール機の姿を決めた

FURYUは、アミューズメント施設の中では運営者ではなく供給者である。GiGO、ROUND1、namcoなどの設置・運営事業者に、原価に近い価格で機械を販売する。利益の中心は、撮影するたびに消費されるシールと、撮影後に写真を携帯電話へ保存するクラウド会員料金だ。2026年3月期には、プリントシール事業内のクラウド会員売上高68.2億円が、施設へ販売する機械本体と消耗品の売上高61.2億円を初めて上回った。

このモデルから、いくつかの特徴を説明できる。

  • 日本のプリントシール機は、自社店舗を開くよりも、ゲームセンターに設置されることが多い。FURYUにとっては、設置台数と撮影回数が増えれば、消耗品と会員サービスの収入が増えるため、自社で店舗物件を抱える必要はない。当サイトのデータベースに収録した日本の設置場所2,226か所のうち、965か所は10のゲームセンターチェーンの店舗内にある。これは2026年9月25日時点の数字である。photobooth.joelin.ccの日本ページを参照。これらの店舗の98%には、FURYUの機械が設置されている。
  • 競合が撤退すると、FURYUはほとんど追加の負担なく、その空いた設置枠を埋められる。設置・運営事業者が必要としているのは、設置できる機械だからである。
  • 自社で運営する専門店、girls mignonなどは少数で、2026年6月時点では32店舗にとどまる。主な収入源というより、商品を見せるショールームに近い。

設置・運営事業者との収益配分や販売価格の契約条件については、公開資料がないため、ここで説明できるのは構造までである。

もう1つ細かな点がある。SEGAが2020年に再参入した後も含め、2016〜2026年のFURYUの決算資料24件には、SEGAへの言及が1度もなかった。同社は、競合を実名で公に論評していない。

どこへ向かうのか

原文執筆時点のFURYUの中期計画は「フリュー中期ビジョン2027」で、2023年5月に発表された。目標は、2028年3月期の自己資本利益率15%以上、営業利益率10%以上である。すでに実行された施策はいずれも、同じ方向を向いている。

  • 2024年6月、米国カリフォルニア州にFURYU of Americaを設立。
  • 2025年6月、アニメ制作会社フリュー・ピクチャーズを分社化し、自社でアニメ制作を行う体制へ。
  • 2025年7月、クラウド会員サービスを単一の有料プランへ統合し、プリントシール機の撮影料金も全面的に統一。
  • 2026年5月、広州に子会社を設立。
  • 2026年6月、カプセルトイ市場への参入を発表。

いずれも「プリントシール機をもっと作る」という施策ではない。ここからは会社の説明ではなく、私の推論である。FURYUはプリントシール機を「主力商品」から、「若い女性が日常的に接する入口の1つ」へと位置づけ直しているのではないか。実際に売りたいものは、キャラクター商品とIPである。プリントシール機は依然として最も安定したキャッシュの源泉だが、会社は将来をそこだけに賭けてはいない。

7.2020年代:SEGAの復帰と韓国勢の進出

SEGAのブランドロゴ PHOTOISMのブランドロゴ

2020年以降、FURYUの独占的な市場に、初めて2つの方向から競争が生まれた。

1つ目は、かつての競合である。SEGAは2020年10月、前回の撤退から20年を経てfizを発売した。訴求点は、業界初の動画機能だった。2024年4月には子会社セガ フェイブへ事業を移管し、その後、撮影、落書き、印刷を1つのブースにまとめたGIMMIを2024年7月に、後継機のNICO MAKEを2025年7月に発売した。当サイトが収録する10のゲームセンターチェーンの店舗では、約4分の1にSEGAの機械が設置されている。その割合が最も高いチェーンはタイトーステーションである。

2つ目は韓国から来た。韓国式セルフ写真館は2021年2月に日本へ進出した。売りにしているのは、日本式のプリントシール機と正反対の特徴である。加工をせず、高画質で、落書きはできず、出力はシールではなく通常の写真となる。PHOTOISMは2022年10月に渋谷のポップアップ店舗で登場し、2025年6月には約100店舗となった。一部はGiGOのようなゲームセンター内へ直接出店し、FURYUと同じ設置場所をめぐって競合している。

この2つの動きは、まだFURYUのシェアを揺るがしてはいない。2026年の同社決算説明資料にも、依然として「シェア9割」と記載されている。それでも、美意識の方向という点では、日本のプリントシール市場に初めて、FURYUが定義したものとは違う選択肢が現れた。

8.台湾、韓国、香港と比較する

同じ写真撮影サービスでも、4つの市場ではまったく異なる事業形態が育った。

比較項目 日本 韓国 台湾 香港
主な形態 ゲームセンター内のプリントシール機 無人のセルフフォト店舗 ブランド店舗と、クレーンゲーム店内に設置するタイプ 商業施設の動線に組み込まれたフォトブース
機械の所有者 メーカーから購入したアミューズメント施設 店舗を開く加盟店オーナー ブランド運営者または設置・運営事業者 商業施設に設置する運営事業者
集中度 1社のメーカーが9割を占める 登録ブランドは30 データベースに12ブランドを収録 SNAPIOのネットワークは38か所。同じ商業施設に複数ブランドがあることも多い
当サイトの基礎記事 本稿 韓国のセルフフォト30年 台湾のプリントシール機産業の発展史 SNAPIOの店舗を持たないモデル

この違いの出発点は、いずれも「誰が機械を所有するか」にある。日本では、メーカーが売り切った機械をアミューズメント施設が所有し、メーカーは消耗品と会員サービスで継続収入を得る。韓国と台湾では、店舗を開く人が機械を所有するため、小規模ブランドやフランチャイズが多数生まれる。香港では賃料が高いため、専用店舗を開かず、機械を商業施設に直接組み込む。4市場のうち、メーカーが主導するのは日本だけである。

9.関連する記事

よくある質問

世界初のプリントシール機は、いつ、誰が作ったのか?

1995年7月25日に日本で発売された「プリント倶楽部」(Print Club)である。企画はゲームソフトウェア会社のAtlus、カメラと筐体はSEGAが担当し、プリンターにはSony製を使用した。料金は1回300円。「プリクラ」という略称は、SEGAの登録商標である。

日本のプリントシール機市場は、最大でどれくらいあったのか?

ピークは1997年だった。日本アミューズメント産業協会の資料によると、その年の施設側売上高は1,013億円、メーカーが機械と消耗品を販売して得た金額は489億円、全国の設置台数は50,228台だった。2023年には、施設側売上高は193億円、設置台数は7,441台となり、ピーク時の約2割と約15%に縮小した。

なぜ日本のプリントシール機は、ほとんどFURYU製なのか?

競合が相次いで撤退したためである。1996年には十数社のゲーム会社が参入したが、大半は2000年前後に姿を消した。Atlusは2009年に事業を終了し、トーワジャパンは1999年、メイクソフトウェアは2018年に破産した。FURYUの設置台数シェアは、2010年代初頭の約3〜4割から2019年には約98%へ上昇している。同社調べの数字である。原文執筆時点で、ゲームセンターで同社と競合するメーカーはSEGAだけだった。辰巳電子工業はイベントや観光地向けの機種へ移行し、加賀デバイスはプリントシール機の部品を主力としている。

FURYUはいつ上場したのか?

2015年12月18日に、東京証券取引所市場第一部へ直接上場した。証券コードは6238、公開価格は3,200円。2022年4月の東証市場再編に伴い、プライム市場へ移行した。2017年3月に1株を3株へ分割しているため、原文執筆時点の株数に換算した公開価格は約1,067円となる。

FURYUとオムロンは、どのような関係なのか?

FURYUの前身は、オムロンの社内事業である。1997年4月にエンタテインメント分野の新規事業を開始し、1998年4月にプリントシール機事業へ参入。2003年7月に子会社オムロンエンタテインメントとして分社化され、2007年4月に経営陣による買収でフリュー株式会社として独立した。

SEGAは今もプリントシール機を作っているのか?

原文執筆時点では作っている。SEGAは2000年前後に撤退したが、2020年10月にfizで再参入した。2024年4月には子会社セガ フェイブへ事業を移管し、その後GIMMIとNICO MAKEを発売している。

結論

  1. 日本のプリントシール機は、1995年7月25日にAtlusとSEGAが発売した。ピークは1997年で、施設側売上高1,013億円、メーカー販売額489億円、設置台数50,228台だった。
  2. 1998年には、売上高が1年で6割減少した。1996年に参入した30社余りのメーカーは、その後20年で次々と市場を去った。理由を確認できるのは、過剰生産の打撃を受けた後、2009年に事業を終了したAtlusと、破産したトーワジャパン、メイクソフトウェアである。
  3. 2023年の施設側売上高は193億円、全国の設置台数は7,441台で、ピーク時の約2割と約15%だった。台数は85%減ったが、1台当たりの年間売上高は1997年より約3割高くなった。
  4. 原文執筆時点のゲームセンターという主戦場では、メーカーはFURYUとSEGAの2社である。FURYUは設置台数シェア9割と自社で公表している。辰巳電子工業はイベントや観光地向け機種へ移行し、加賀デバイスは部品を主力としている。
  5. この産業に関わる上場企業は十数社あるが、プリントシール機関連の売上高を決算資料から切り出せるのはFURYUだけである。日本で唯一、プリントシール機事業を単独で追える上場銘柄となっている。
  6. FURYUの前身は、1998年にオムロンが始めた社内事業である。2007年に経営陣が買収して独立し、2015年12月に東証一部へ直接上場した。
  7. FURYUのシェア拡大は、競合の撤退によって残された市場を引き受けた結果である。2010年代初頭の約3〜4割から、2019年には約98%へ上昇した。
  8. FURYUは施設の運営者ではなく供給者で、シールなどの消耗品とクラウド会員サービスから利益を得る。2026年3月期には、クラウド会員売上高が初めて機械本体と消耗品の売上高を上回った。
  9. FURYU自身は事業の重心を移している。キャラクター商品がすでに売上高の6割以上を占め、プリントシール機は主力商品から入口へと変わりつつある。
  10. 2020年代には2つの新たな競争が生まれた。SEGAは2020年に復帰し、韓国式セルフ写真館は2021年に日本へ進出、PHOTOISMは約100店舗を展開した。日本のプリントシール市場に初めて、FURYUが定義したものとは違う美意識が現れた。

ブランドロゴ一覧

本文で触れたブランドのうち、以下については各ブランドの公式サイトから公式ロゴを取得できた。看板を見てもどのブランドか分からないときは、この図で照合できる。

本文で取り上げた日本のプリントシール機関連ブランドの公式ロゴ。上から順に、FURYU、girls mignon、SEGA、辰巳電子工業、totteMe-R、GiGO、モーリーファンタジー、タイトーステーション、ROUND1、プラサカプコン、ME TOKYO、PHOTOISM、SNAPIO。

  • FURYU:機械のメーカー。日本の設置台数の約9割を占める。
  • girls mignon:FURYU直営のプリントシール機専門店。
  • SEGA:1995年のPrint Clubでハードウェアを担当。2020年に再参入。
  • 辰巳電子工業:2000年代のメーカー。現在はイベントや観光地向けの機種を製造し、観光地向け機種はファミプリ。
  • totteMe-R:辰巳電子工業の販促イベント向けプリントシール機。
  • GiGO:設置・運営事業者。GENDA傘下のゲームセンターで、前身はSEGAのゲームセンター。
  • モーリーファンタジー:設置・運営事業者。イオンファンタジー傘下。
  • タイトーステーション:設置・運営事業者。スクウェア・エニックス傘下。
  • ROUND1:設置・運営事業者。ラウンドワン。
  • プラサカプコン:設置・運営事業者。カプコンのゲームセンター。
  • ME TOKYO:設置・運営事業者。マルハン傘下。
  • PHOTOISM:2021年以降に日本へ進出した韓国式セルフ写真館。
  • SNAPIO:比較対象。香港で商業施設に組み込まれたフォトブースのネットワーク。

この図には、公式ロゴを取得できたブランドだけを収録している。Atlus、オムロン、トーワジャパン、メイクソフトウェア、アイ・エム・エス、加賀デバイス、namco、辰巳電子工業のファミプリは、本文で取り上げたものの公式ロゴを取得できなかった。これらはすべて空欄扱いとし、別の画像で代用していない。すでに姿を消したトーワジャパンとメイクソフトウェアについても、使用できる公式の出典は見つからなかった。

付録1.本文で使った日本語の用語

日本語 ローマ字表記 意味
プリクラ purikura プリントシール機の通称。SEGAの登録商標
プリントシール機 purinto shīru ki 写真をシールとして出力する機械。業界の正式な機器分類名
盛る moru 写真を加工して、より魅力的に見せること
デカ目 deka me 目を大きく見せる効果
ナチュラル nachuraru 自然な仕上がり
落書き rakugaki 写真に文字や絵などを書き加えること
ゲームセンター gēmu sentā ゲーム機などを設置した遊戯施設
セルフ写真館 serufu shashinkan 自分で撮影する写真館。韓国式セルフフォトの日本での呼び名
自社調べ jisha shirabe 会社自身による調査

これらは、日本語資料で特によく出てくる用語である。「プリクラ」は商標なので、業界報告書や決算資料では「プリントシール機」と表記される。また、「自社調べ」とあれば、その数値は会社自身が集計したもので、第三者統計ではないと分かる。

付録2.調べても確認できなかったこと

以下は調査したものの、信頼できる答えを見つけられなかった事項である。そのため本文では断定せず、推計による補完もしていない。

  • Print Clubが、なぜ1995年という時点で発売されたのか。
  • 1996年に参入した十数社のゲーム会社が、それぞれどの機種を発売し、何年に、なぜ撤退したのか。
  • 日立ソフトウェアエンジニアリング、アイ・エム・エス、ナムコが、メーカーとして撤退した年。
  • 2014〜2018年の施設側のプリントシール機売上高と設置台数。この期間のJAIA資料では、プリントシール機を単独で掲載していない。また、2022年度と2024年度の細目。2022年度は増減率のみが公表され、2024年版は有料の刊行物である。
  • 男性だけではプリントシール機エリアへ入れないというルールを、最初にどの会社が何年に設けたのか。
  • 2007年に経営陣がFURYUの事業を買収した際の資金調達元と金額。
  • FURYUのクラウド会員サービス、ピクトリンクの開始日。2011年12月とする二次情報だけがある。
  • FURYUとGiGO、ROUND1などの設置・運営事業者との間の、収益配分や販売価格に関する契約条件。

付録3.資料・出典

  • 一次資料・業界団体:日本アミューズメント産業協会『プリントシール機20年史』(2015年)。1996〜2013年の売上高、設置台数、販売額、歴代機種。
  • 一次資料・業界団体:JAIA『アミューズメント産業界の実態調査』2019年度、2020年度、2021年度、2023年度版の概要。JAIA公式サイトと『JAIAプレス』に掲載。2014年以降の売上高、設置台数、販売額。
  • 当時の報道:2009年2月の、Atlusによる業務用ゲーム事業終了を伝えた日経xTECHとITmediaの記事。
  • 一次資料・企業:FURYUの公式沿革、2016年3月期から2027年3月期第1四半期までの決算短信・決算説明資料、「フリュー中期ビジョン2027」。GENDAの上場発表。カプコンとコナミの公式IR沿革。
  • 一次資料・企業プレスリリース:Photoism Japanの初の直営店に関するプレスリリース。PR TIMES掲載。
  • 写真:冒頭の画像と第3章の4枚の写真は、すべてWikimedia Commonsのオープンライセンス画像を使用した。撮影者とライセンスは各画像の下に記載。冒頭の画像はWenjie Zhangが2010年に渋谷で撮影したもので、ライセンスはCC BY 2.0。当サイトで16:9にトリミングした。
  • 一次資料・企業公式サイト:ファミプリの公式設置場所検索(famipri.jp。2026年9月25日に264台を個別に確認)、ファミプリの法人向けサイトにある導入条件、famipri.jpの利用規約に記載された会員月額料金の改定履歴。辰巳電子工業の公式製品ページ(totte Me!、ファミプリ)、加賀電子のグループ会社紹介ページ(加賀デバイスの事業内容、従業員数、持株比率)。辰巳電子工業の資本金、設立年、従業員数は求人サイトの企業情報を参照しており、二次情報である。
  • 二次資料・金融情報サイト。日付を複数の資料で照合:日経電子版の株価履歴、上場情報の集約サイト。セガサミー、ラウンドワン、イオンファンタジー、タイトー、KeyHolderの上場日と上場廃止日。
  • 二次資料・学術ケーススタディとメディア:國學院大學のFURYUケーススタディ(Atlusの損失額)、東洋経済と日経xTRENDの報道、経営者インタビューの要約。

本文のキーワード:日本のプリントシール機の歴史、プリクラ、Print Club、FURYU、フリュー、SEGA、プリントシール機産業、日本のプリントシール機関連上場企業

出典: 中国語原文は2026-09-24公開、2026-10-06更新。本文の店舗・企業情報、数値と未確認事項は、原文に記した調査時点の記録です。 本稿は中国語原文に基づく日本語版です。調査・価格・会社情報は本文に記した確認日時点のもので、翻訳版の公開日はデータの更新日を意味しません。通貨、集計単位、市場の範囲と未確認事項は原文の条件を維持しています。

この日本語版は、繁体字中国語の原作記事をもとにしています。joelin.cc. 海外の読者にもわかりやすいよう、表現や説明を調整しています。 内容の基準となるのは繁体字中国語の原文です。完全な内容は中国語の原文をご覧ください。